2013年5月3日金曜日

3章


智穂が、西村とメールアドレスを交換していなかったことに気がついたのは、研究室で西村を見送った後だった。住所は、何かの資料を送るときのためにもらっていたので、手紙を出した。それから、毎日返事を待つようになった。4月の2週目には返事が来た時に便箋を傷つけないように開封する方法を考えて、ハサミを買った。毎日、西村と交わした実験メモを見ながら、西村が便箋に書いてくる字を想像した。

ゴールデンウィークの最初の日に、西村からの手紙が来た。郵便受けから封筒を胸に当てて部屋までの階段を登った。こざっぱりしたアパートの部屋は、まだストーブがなければ寒かったが、智穂は薄いカーディガンを脱がず、そのまま机に向かい、蛍光灯に透かしながら、ハサミで便箋の口を切った。便箋には、想像していたよりは少し丁寧な字で便りが書かれていた。

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萩尾さん。その後実験はいかがですか。僕は、鎌倉の担当になりました。大概の仕事は保健所の中ですが、先輩が食中毒の予防を覚えるためと言って管轄地域に連れ出してくれます。由比ヶ浜銀座は最も好きな場所です。海岸が近く、塩の香りがわずかにする静かな町並みです。管轄地域の見学中に、萩尾さんをご招待できる場所をそっと探しました。少し丘の上にある歐林洞というお店です。鎌倉は、静かなのに自信があふれている感じがします。住んでいる人たちにとって、世界一の場所であることは当たり前と思っていながら、何も自慢しません。本当に、萩尾さんに紹介したくて夏が待ち遠しいです。
では、お元気で、時期が近づいたら、今度はメールします。
すみませんが、メールアドレスを書いて置きますので、そこにメールください。
考えてみたら、実験で一緒だったので、メールアドレスを知りませんでした。メールしてくれれば、確実に返信できます。短い一言で結構です。
西村
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智穂は、3回ゆっくりと読み返した。声に出さずに読むと、西村の声が聞こえるような気がした。4回目には、飴を舐めながら読んだ。飴を含んだ口ですこしだけ発音すると、西村の声のようだった。

その後、由比ヶ浜銀座という通りを知るために、インターネットで地図を調べた。それでも落ち着かなかったので、大通りに出かけて地図を買った。4万分の1の地図からは、海岸線からの緩やかな等高線と人家が並ぶ通りを読み取ることができた。その日の残りは返事の最初の一言を考えるだけで過ぎた。

翌日、父からの手紙が来た。めったに手紙をくれない父からの封筒も昨日と同じように、便箋をハサミで切って開けた。見慣れた字で書かれていたのは、母の癌についてだった。すでに転移をしていることを母は知っており、手術を拒んでいるとのことだった。夏までは、学業と就職活動に頑張るように、母が強く言っているとのことだった。それでも、夏休みはできるだけ実家で過ごして欲しいとの父の希望が書いてあった。

智穂は母が嫌いだった。なにか話そうとすると、母はいつも先回りをして話を遮った。それが当たっているたび、母の細く見える目が自分の皮膚を切っているように思えた。母は、おおきな薬局を経営し、その跡を継ぐことを当然の義務として智穂に接していた。獣医になりたいと告げた時には、目線を一瞬だけ合わせて「どうせ」とだけ話した。

「どうせ、続かないとでも言うなら、獣医として成功した私を見て残念がればいいじゃないの」
と、何度も心の中で叫んだが、いつも、母の前では言葉が出なかった。
薬局の中では、母はいつでも皇帝のようで、ひとりひとりの職員の勤務状況と弱みを把握し、逆らう可能性のある職員はいつの間にか退職していた。母は、職員にも、取引先にもそして智穂にも、常に同じ目線で接した。

高校入学の頃から、智穂は鏡に写る自分の表情が母と似てきていると思うようになった。別に怒っているわけではないのに、目線がきつい。無理に笑うと痛みをこらえているような顔になった。高校2年生のときに、自分の表情は小学校のころから、母の手伝いをしたせいだ、と考えた。それから、身繕いでもできるだけ鏡に向かう時間を短くするようにした。鏡に写っている自分の顔はますます母親に似ていくようだった。

母の人生の終わりが近づいていることは信じられなかった。看病に向かったとき、ベッドで寝ている母が弱音を吐くかもしれない、きっと自分にこれからどうしようと頼るのではないかと想像した。そう、考える自分がとても嫌で、父からの手紙が着いた日は休みであるのにもかかわらず大学に出かけた。まだ雪解けのあとで埃っぽい道を歩くことで気が紛れた。放牧されている牛を見ると少し気持ちが柔らかくなった。

その日の翌日には、夏を看病で過ごす決心がついた。

智穂は教授に7月までに卒業論文を仕上げることの許可を得た。夏までは自分が研究に関係する総仕上げなる。その後は、9月末まで可能な期間全てを看病に充てることにした。

5月と6月には西村とメールを交わした。西村のメールは、智穂を励ましてくれた。8月のはじめには、京都に戻る途中に、鎌倉に立ち寄ることになった。智穂は、9月末までの看病の前の小さなご褒美と自分に言い聞かせた。

http://horeame.blogspot.jp/2013/05/4_3.html
に続く

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