2013年5月3日金曜日

9章


JRの駅から乗ったバスから降りて、西村が入院している病院に着いた。北海道とは違い、11月でも優しい陽光が病院を照らしていた。病室に入る前に、智穂は小袋を鞄から出し、お土産の六花亭のお菓子とともに手に持った。

「母からもらった飴だけどとても貴重で、体の治りをよくするということなので、よかったら舐めませんか。」

というセリフの73回目の練習をした。

病室に入ると、5つのベッドからの笑い声が聞こえ、窓際の西村のベッドのむこうにいる、栗色のショートカットの女性が目に入った。
大きく動く目と明るく話す声は、病室全体を明るくしていた。西村は、若い女性の方を向いていて顔は見えなかった。女性の手は、西村の左手にそえられていた。

こんにちは、

と智穂が声をかけると、強い磁力に逆らうように、西村がこちらを向いた。
おどろいた表情を見て、実験室から見たキツネが去るときのことを思い出した。

智穂は、明るく挨拶をし、突然の訪問を詫びた。その間に鼓動が早まった。西村が女性を紹介しないので、名前を尋ねた。西村が伝えてくれた名前は全く頭に入らなかった。栗色のショートの女性が笑顔で会釈したときに、また鼓動が早まった。

長風呂のあとのように周りの様子が白くなった。

智穂は、急な用事の途中で立ち寄ったという、嘘の事情を早口で話し、六花亭のマルセイバターサンドを西村のベッドの足元に置いた。栗色のショートの女性と同室の男性たちには軽く頭を下げて、病室を出た。西村が何かこちらに向かって何かを話した声に、栗色のショートの女性が声を重ねたのが聞こえた。また、病室の皆が笑ったようだった。

智穂はバスを使わずに駅までの2キロを走った。

列車を待つためにホームのベンチに座ると、涙があふれた。泣いたらのどが乾いた。ホームに自動販売機が無いことで余計にのどが渇いた。いつものように、手にもった飴を口に入れたら喉の渇きが和らいだ。上質な甘みだけでなく、深みを感じさせる不思議な味がした。食道を飴の成分が通るときに首全体から全身に成分が広がることがわかった。ほどなく、やさしい気持ちが体を包んでいるような感覚がどこからともなくやってきた。

列車が近づいてきた時に、不意に思い出した。これは、母がくれた飴だ。しかも、、、、今動揺で飴を飲み込んでしまった。また涙があふれてきたが、今度は、自分の狡さと馬鹿さに呆れた涙だった。すぐに涙は枯れて、むなしい気持ちだけで北海道行の飛行機に乗った。


http://horeame.blogspot.jp/2013/05/9_3.html
に続く

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