2013年5月3日金曜日

6章


京都駅には、父が迎えに来ていた。何時会っても魅力的だった。何故この父が母を愛したのか、まったくわからなかった。母は、少なくとも智穂が見ているときには、父に笑顔を見せなかった。京都駅の近くに駐車してあった車で実家に向かった。すでに薬局は閉店していたが、店長の佐々木さんはまだ品物のチェックをしていた。母の帰りを待つ間、しっかりと運営したいとのことだった。上の階に行くエレベーターで5階の自分の部屋に入ると、前回来たときと同じように、部屋が整えられていた。母は、智穂の部屋はそのままにしてくれていた。

窓からは、暗い風景の中に高野川が見えた。数百メートル先で賀茂川と合流することを知らない流れを、智穂はずっと好きだった。

一休みしてから、下の階におりると父が待っていてくれた。母の容態と翌日の見舞い時間を確認した。痛みが激しいはずだが、母が服用を希望した薬剤が適格なのか、痛みに苦しんではいないとのことだった。父が暗い顔をしていたので、智穂は卒業論文を早く提出したので9月までいられることと、明日から看病にあたることを短く伝えた。研究のことや大学でのことは、父が尋ねることについてだけ返答した。

病院に着いた時、母は、食事を終えたところだった。皿のひとつひとつの確認をしてからカロリーを計算しているようだった。到着した智穂には、200カロリー、最適よりもオーバーしてるわね、と話した。智穂は、好きでもないその話し方に少しほっとした。

それから毎日2度、母が薬を飲むときには、薬品のカプセルシートにある番号から製薬会社と薬品名を確認して、その薬効機構を智穂に問いかけた。朝食時は、お見舞い時間外のため、看病の家族は同席できなかった。薬のことを自分に尋ねて答えるのを見ていることが、母にとっては楽なようだった。

痛みは母の体内に浸透しており、智穂の助けでベッドから起きるときには、痛みで顔をゆがめた。

看病の毎日は、まるで口頭試問だった。母が尋ねる薬の名前は、母が飲んでいる薬から、その類似薬、さらに前日尋ねた薬の類似薬へと広がった。特に、智穂が学んだはずの薬物の名前は覚えていて、薬品が働く機構や副作用を智穂に言わせた。少なくとも、そうやって知識をやり取りしている間、母は痛みを忘れられているようだった。智穂が正確に答えると、当然という表情の奥に満足な気持ちを見せた。智穂は必死で薬品の勉強をした。母も勉強するらしく、智穂に専門書を持ってこさせた。まるで、知識に鎮痛効果があるようだった。

相変わらず母は嫌いだったが、母の強い意志にもかかわらず、漏れ出てくる苦しみの表情は、薬のことを覚える以上に智穂にはつらかった。

看病を始めて3週間すぎたところで、母は、家から一つの品物を持ってくることを智穂に伝えた。専門書ではなく、箱であることがいつもとちがっていた。それ以外、そっけなく伝え、復唱させるところは、いつも通りだった。智穂は、何度も入った母の室内にある箱の詳細な位置と色や形を覚えた。

翌日、智穂が箱を病室に持っていくと、母はその箱から小さな薬を出した。薬局の包装用シーラーでビニールに封印した後、はさみで切り口がつけてあった。

母は昼食のあとでゆっくり語り始めた。

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私は姉と二人で、薬物の研究をしていた。薬は体の仕組みのうちの一つを選んでバランスを変える。薬ができることは、本のわずかなバランスの変化だけ。シーソーで上に上がっているこどもに手を添えて下ろすようなもの。うまく押すことができれば、全身の流れが変わる。
特に、精神に働く場合、微妙なバランスの的確な場所を動かすことができれば、精神の流れは変わる。それを姉と私は見つけた。それで、一つの薬を作った。その薬は、人の愛情に関する流れを変える。長く話し合ったのちに、姉はその薬を試した。効果は見事に表れた。

それで、二人で薬を、上質な糖分でコートして飴にした。その時に作った飴は4つ。それしか作ることは出来なかった。姉はそのうち2つを持ち、私が二つを持った。私は飴の一粒をあなたのお父さんに飲ませたの。どうしても、お父さんにそばにいてほしかった。私は、その気持ちを抑えることが出来なかった。これが残りの一粒。

あなたがこれをどうするかは任せるよ。私には、託す相手はあなたしかいない。世間に公表すると、研究と分析の結果、どうなるかわからない。だから、よく考えて、この一粒をあなたのために使ってほしい。
これが、あなたへの一番大切な、最後の贈りもの。
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智穂は、箱をトートバッグに入れ、京都大学の中を通って帰った。母に何度も連れて来られて、まるで、ここに学ぶことが最低の仕事のように刷り込まれたキャンパスは、6年前から智穂には立ち入れない場所だった。その日は、それなりに美しく落ち着いた道と知性的なヒトとすれ違う風景として受け入れることができた。

自宅に帰ってから、智穂は母から受け取った箱を机にしまい、夕食の準備を終えた父に尋ねた。

「どうしてお母さんのことをすきになったの」

父は答えた

「あの人は、私を好きでいてくれるから」

智穂は、とりあえず、薬を慎重にもう一度しまうことにした。


http://horeame.blogspot.jp/2013/05/6_3.html
に続く

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