2013年5月3日金曜日

5章


8時に新千歳空港を出て、藤沢に着いた時には、11時半を過ぎていた。何度か鎌倉を調べたときに、江ノ島電鉄が出てきた。智穂はこの電車で鎌倉に向かうことにしていた。手紙にあった由比ヶ浜も通る。西村は、その日の午後有給休暇を取って智穂を案内してくれることになっていた。

市電のような江ノ島電鉄の電車は、街中を抜けたあと海沿いに出た。海岸は夏休みで、その手前に見える道路はどこも混雑していたが、反対側の街並みは静かだった。ビルはほとんどなく、普通の住宅が続いていた。小さな駅から乗り込む人は半そでシャツの地元の人と小学生が多かった。鎌倉駅が近づくにしたがって社内は混雑し始めたが、由比ヶ浜駅では気分が高揚した。西村の手紙にあった商店街は、隣の和田塚駅の山側にあった。

西村との待ち合わせは、江ノ電鎌倉駅の改札口だった。洋風の木造で建てられた駅舎は苗穂駅と似ていた。10分待ったころに西村は江ノ島電鉄から降りてやってきた。卒業までいつも見ていた雰囲気がそのままだった。ホームからよほど急いだらしく、肩で息を切らしていた。「待った?」という一言を聞いただけで、智穂は涙腺が少し緩んでいるのが感じた。ごまかすように目をこすって「ちょっと花粉症かも」と言って歩き出した。再会用に考えた何十という素敵な一言は、使えなかった。

まず鶴岡八幡宮に詣でてから西村の選んだお店に行くことにした。参道は人ごみだったが、本社がちかづくと、やや静かになった。お祈りのときには、西村が一緒に母の全快を祈ってくれた。西村には、母は病気とだけ伝えていた。

鶴岡八幡宮を出てから海と反対側に歩いた。緩やかな上り坂を歩いた後、右側に歐林洞という石造りのお店に着いた。古い作りだが、冷房がよくきいていて、最初のお冷は本当においしかった。西村は、メニューを見ながら、前もって決めていたキッシュを頼んだ。地元情報を得ていると言って、紅茶を添えた。キッシュを食べ終わったころには、西村が卒業する前の雰囲気が戻ってきた。次に分析すべて遺伝子や、喜代田さんがなんとなく探した遺伝子がすごい情報を持っていたかをずっと話した。新しい遺伝子と鳥類の進化に関係する話になったところで、そのお店でしか食べられないというパトロンというデザートをコーヒーと一緒に頼んでくれた。ショコラ・ノアとショコラ・オ・レの二種類を頼み、智穂の前にはショコラ・ノアが運ばれた。西村は、智穂が一口試すまで、ショコラ・オ・レにスプーンを付けず、待っていてくれた。

窓から日が差し込むようになったところで、店を出た。

9時には京都駅に着くことを父に伝えていたので、智穂は新横浜駅に向かうことになっていた。西村のそばに長くいてもっと話したいという気持ちよりも、自分の理由だけで長く引き止めたら西村が却って遠くなるというおそれが勝っていた。

偶然新横浜に用事があると言って、西村も新横浜まで一緒だった。智穂は、もっと遅い新幹線にすべきだったという気持ちと、会っている時間を短くする必要性のことばかり考えて、会話が続かなかった。新横浜では新幹線のホームへの入口でわかれるつもりだったが、西村は新幹線ホームの売店でしか売っていない記念品を友達に頼まれたからと言ってホームに一緒に入り、広島行ののぞみに乗る智穂をホームで見送ってくれた。

智穂は、できるだけ自然な笑顔で西村を見送った。もし、素直に気持ちを伝えることができれば、もっと一緒にいられるのに、と考えると自分が情けなかった。発車してから涙があふれてきた。

http://horeame.blogspot.jp/2013/05/5_3.html
に続く

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